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大正池

大正池は、1915年(大正4年)の焼岳大噴火による泥流が梓川に堰き止められてできた池です。しかし、梓川から流れ込む大量の土砂により、その大きさは年々小さくなりつつあります。
毎年秋口に行われる土砂を掘り出す浚渫(しゅんせつ)工事をしなければ、数年後には埋没してしまうとも言われています。
小梨平

小梨平は、河童橋から徒歩5分のところにあるキャンプ場です。
あまり有名な場所ではないためほとんどの人がただ通り過ぎてしまうだけですが、その分、一歩小道に入るだけで、すれ違う人も少ない静かな森を楽しむことができます。
四季折々の花、秋のカラマツの黄葉、清らかな川の流れ、そして間近に迫る穂高連峰などなど、上高地の自然の魅力をぎゅっと凝縮して見せてくれる場所です。
明神池

穂高神社奥宮の奥にある明神池は、湧き水であるため大雨が降っても濁ることがほとんどありません。静かな水を湛える水面を見ていると神様が池底で眠っているような気にさえなります。また、毎年10月8日には例大祭(お船祭り)が催され、昔ながらの古式ゆかしい船が池の上を滑っていくのを愉しむこともできます。
ただ観光シーズンになると、押しかける観光客が池の魚やカモにスナック菓子などを与える姿が見られ、生態系への影響が懸念されています。
江戸時代
上高地の森は松本藩の御用林として利用され、地元の杣(そま)と呼ばれるキコリたちが藩命を受けて伐採を行っていました。
上高地のいくつかの沢に人の名前が付いているのは、この杣たちの名前だと言われています。
明治時代

明治に入ると上高地での伐採が禁止され、キコリたちは山を降りました。それからしばらくの間、上高地に静寂の時が流れました。
しかし、その後上高地牧場(現徳沢地区)などができ、再び賑わいが戻ります。また、イギリス人宣教師のウォルター・ウェストンにより日本アルプスが世界に紹介され、多くの登山家、著名人が訪れることとなります。
大正時代

大正4年の焼岳大噴火により、大正池ができました。
この後から、上高地の景観美に魅せられ、多くの観光客が訪れるようになります。
昭和時代
昭和9年に上高地は国立公園に指定され、名実共に日本を代表する景勝地となりました。
しかし、同時に上高地へ通じる道路や上高地地区の環境の悪化が進んでいきます。そのことに気づいた人々により、日本で初めて『美しくする会』の誕生、マイカー規制の実施など環境保全の先進的な地域となっていきます。
平成時代

年間200万人が訪れる現在では、通年のマイカー規制と共に、上高地線の渋滞の原因ともなる観光バスの期間限定の通行規制も始まりました。
NPG(ナショナルパークガイド)
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代表者:岩嶋彩子(NPG Director)

私たちナショナルパークガイドは、信州上高地のガイドをしています。動植物の名前だけでなく、自然の不思議を探し、ゆったりとした時間を過ごしてもらうことを目指しています。
10種類以上の豊富なガイドメニューをご用意してお待ちしております。


